本質を捉える大切さ 〜自分らしく生きるために〜
こんにちは!ショーゴ(@sho_trip)です。
仕事柄、地方と東京をまたいで活動させていただいていて感じることがあります。
会社勤めだけじゃなく、フリーランスや僕のように複業の方など様々な方に出会うのですが、自分をどのように表現するか、いわゆる「セルフブランディング」に長けている方は年々増えているように感じます。
一方で、自分の人生を豊かにするためにも、誰と一緒に居るか、誰と組むのかを見極める目を持つことも大切です。
そう思うのは、時に「本当の価値」が置き去りになっていることがあるなぁと感じるから。
今回はそんな「本質」の大切さについてです。
肩書き>実力 にご用心
先日、ふと感じたことをtwitterにアップしました。
本質の大切さ。
— ショーゴ@繋げるひと|就カフェ☕️ (@sho_trip) 2018年3月31日
コンサル、プランナー、デザイナー…肩書きを名乗るフリーに多々出会うけど、結局問われるのは中身で。
友人でマーケもプランニングも出来るデザイナーがいるけど「これくらい出来なきゃ食えない」って言ってたさ。
質を問われる時代になったからこそ、強いのはハイブリッドなプロ。 https://t.co/JxN68F6jDB
自分が何者かを表現する「肩書き」。
その肩書きには主に3つの種類があります。
◼︎コンサルやプランナーといった「職業」の肩書き。
◼︎GCDFキャリアカウンセラーといった「資格」の肩書き。
◼︎株式会社◯◯◯CEO といった「役職」の肩書き。
これらの組み合わせによって社会における自分が何者なのかを表現しているのですが、注意したいのはこれらのどれもが実際に「成果を出せるか」とは直結しないということです。
僕自身もやっていながら言うのもなんですが、コンサルなんて誰でも言おうと思えば言えちゃいます。また、カウンセラーの資格を持っていても実際にカウンセリングの経験が無い人はたくさんいます。
CEOや部長といった役職は偉いかどうかではなく、その一企業内における「役割」に過ぎません。
極端な話、社員数が3人の会社ならCEO・COO・CFOという組み合わせになるでしょう。
社会における「キャリアの本質(実力)」とは肩書きがすごいかどうかではなく、何を生み出してきたのか、何が出来るのか、といった「経験」「成果」「スキル」がすべて。
「肩書き」は興味を持ってもらう入口に過ぎず、自身の実力を過度に超えた肩書きは自身の首を絞めることになりかねないので注意が必要です。もちろん、あえて大きく風呂敷を広げ、自分の成長やモチベーションに繋げるという人もいますので一概に否定は出来ないのですが。
僕は初めてお会いした方とご一緒させて頂いた時には、肩書きどうこうよりもまずお互いの人柄や価値観などについてお話しし、人としてのマッチングがどうかを大切にしています。
仕事やプロジェクトをご一緒させて頂くかどうかは追々何が出来る人なのかをお互いに知ってからの判断で良いと思うから。仮にそこで仕事上の親和性がなくても好きな人であれば友人として一緒に居られますしね。
仕事だけの付き合いをする人だっているじゃん、と思うかもしれません。
それはそれでもいいんでしょうけど、いずれにしても肩書きに引っ張られず、全てはその人の実力を見てから判断したほうがいいと思うのです。
会社同士の付き合いならともかく、僕はフリーランスや複業として付き合う相手は「仕事のみ」という付き合い方はしません。時間をかけてでも、まずは人としての価値観のマッチングを互いに確認してから仕事に進むようにしています。
そうじゃないと、一緒に良い価値を創ることが出来ないし、多分どこかで破綻すると思うから。
効率至上主義が「思考」を殺す
インターネットの拡充とともに技術の進化スピードが加速度的に上がっている今、ビジネスのスピードやコミュニケーションのスピードも速くなっています。
一昔前、経営の3要素と言えば「ヒト」「モノ」「カネ」でしたが、今はこの3つに加えて「情報」や「時間」も大切な要素となりました。
資本力だけじゃなく、いかにライバルが持っていない情報を手に入れ、いかに早く世に出すか。
情報や時間が価値を持つようになったことが、ブロガーやyoutuberなど個人の力で稼げる今の状況にも繋がっているんじゃないかと感じます。
ただひとつ、気になる事もあって。
それは、ビジネスだけじゃなく日常のコミュニケーションにおいても「早さ」や「効率」が重視されるようになったがゆえに失われつつあるもの。
何か分からないことがあっても図書館に行ったりすることなく、google先生が全てを教えてくれる。
直接会わなくても、話さなくても、いつでもLINEで言いたいことを言える。
そんな日々の積み重ねが「考えること」からみんなを遠ざけているように感じます。
わからないことがあったら自分で考えるより先にまずググる。
相手が今どんな状況なのか、確認したり推し量ることなく、とりあえず用件を送っとけ。
そんな経験ありませんか。
でもね、これが当たり前になることってすごく怖いなって。
今の世の中、正直、歴史の年号なんかを暗記する必要なんてないし、知りたくなったら必要な時に検索すればいいと思います。
ただ、これからの時代に実際仕事をしていく上で大切なのは、いつでも引き出せるその情報をいかに組み合わせるか、未来を予測して仮説を立てられるか、といった想像・推察・思考力を持つこと。
言い換えれば、置かれている状況を理解して自らの考えを持ち、その意志を発信する力が生きていく上で必要なのではないかと。
そんな思いに至ったひとつのきっかけ。
それは普段、就活支援をしていて気になったこんな場面です。
●ちょっと雑談してて、と言われても最初に話し出す人がいない。
●初見の人と何を話していいかわからない。
●面接や選考の場面で、思ってもいないような当たり障りない一般論を言う。
●「みんなの為に」と言うけれど、「あなたはどうしたい?」と問われると困ってしまう。
●グループワーク後、「他の人の気になった点」をフィードバックしてとなっても誰も口を開かない。
●他人からの指摘を受けとめられず、泣いてしまう、またはムキになって反論する。
などなど。
嫌われたくない、失敗したくない心理が優先される一方で、他人からの指摘を思いやりではなく攻撃と捉えてしまう。
これらのことは失敗や衝突から学んだ経験の少なさも原因ではあるけれど、「考える」機会が少なくなっていることも影響しているんじゃないかと思うのです。
表面的な事象やこの瞬間だけじゃなく、なぜこうなっているのか・長い目線で見てどうなのかといった「物事の本質」がどこにあるのかを捉えることが出来ない人が増えているんじゃないか。という仮説。
全体がそういう流れだから、逆に「考えられる人」「諦めず続けられる人」が差別化され、評価される時代になっているとも言えます。
実際、採用の場面で企業が欲しがっている人材でも共通するのは
「自ら考え、動ける」
「周囲を巻き込み協調できる」
「折れない、諦めない」
の3つだったりします。
いかがでしたでしょうか。
氾濫する肩書きと表面的なコミュニケーションという二つの事例から「本質」について考えてみました。どんなに表面的に着飾っても、人は深く付き合っていく中でその人の本質に気づき、見抜くことができます。
自分らしく働き・生きていくために必要なのは、
自分に正直に、自らの意志を持って発信すること。
相手の目線に立ち、相手を思いやってご縁を紡ぐこと。
そして、普段から物事の「本質」を捉えることを大切に。
その為に、僕自身は普段からいろんな物事の「何で」を考えるように意識しています。
●何でこの広告にこの芸能人を起用しているんだろう
●何でマスコミはこのニュースだけは大きく扱わないんだろう
●あの待ち合わせしている人が待っている人ってどんな人だろう
などなど…
どんな小さいことでもいいんです。
日々自分なりの仮説や想像を持つことで考えることが習慣化され、本質に近づけるようになります。
考えることが苦手、という方でも少しずつ出来るようになるので、まずは小さなことからでもトライしてみてはどうてしょうか。
それでは今回はこの辺で^^