ツムグログ

ご縁を紡ぐ人事の日々ログ 働き方/キャリア/多様性/地方の暮らし

検索依存が失わせるもの

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夏のインターンシップ真っ盛りのこの時期、僕も8月下旬の2週間で東京と札幌で本業・複業合わせて5つのインターンシップを運営し、約100人の大学生のみなさんと交流しました。


多種多様な個性を持つ学生さんたちとのインターンシップでは僕自身も学びや気づきが多く、毎年刺激をたくさんもらっています。
インターンのプログラムも様々なのですが、僕が企画・運営するインターンでは大切にしていることがひとつあります。

検索しても答えの出ない課題に取り組む

なぜなら、机上ではなく現場で、何が起こるかわからない、明確な答えが決まっていない、そういった体験が本質的な学びに繋がると僕は考えているからです。

 

インターンシップのほか、僕は複業でキャリア支援サークル「就カフェ」を運営しているのですが、最近気になったことがあって。


それは自分の考え・意志が無い人
もしくはあっても発信出来ない人が多いということ。


意志がない人なんていないでしょ、そう思われるかもしれません。
確かに全てにおいて意志がない人はいないでしょう。
でも、問いを投げかけられた時、というシチュエーションにおいてはどうかというと意志が無いもしくは発信出来ない人は実際多いと感じます。

 

まず後者の場合、何が起因しているのかと言えば「否定されるのが怖いから」というケースがほとんど。考えを持っても先に発表した人が違うことを言っていたら怖くなって黙る、といったように。

 

では前者「自身の考え・意志が無い」人とはどういう人か。
このタイプの人は根拠なく他人の意見に同調したり流されたりして普段過ごしていることが多く、一対一で自身の意見を問われると困惑してしまいます。
意見を問うているので別に正解は無いのですが、答えを探してしまう。

 

それって何でそうなったのか。
とても気になっていたのですが、彼らの行動を見る中で一つの違和感に気づきました。

それは、何でもすぐに検索すること。

幼少期からITが発展していた世代は特にそうかもしれないですが、答え(らしきもの)がいつでも手元(スマホ)にある。
だからわからないことがあればすぐ検索。それで事足りてしまう。

これって実は恐ろしいことなんじゃないか。

実際僕自身も便利なので日常的にネット検索は使うのですが、自分の学生時代を思い返してみると、スマホどころかPCもまだ普及していなかったので、わからないことがあると「人に聞く」か「図書館に行く」のどちらかだったように思い。

でもその際に必ず「自分なりの考え」を一度持っていたような気がします。

だって人に聞いたら「しょうごはどう思う?」って聞かれるし、図書館で調べ物するにもどんな本に書いてありそうかのアタリをつけないといけないので。
いつの間にか自分の考えを持つ習慣がついていたのかもしれません。

 

話は戻って、インターンでも就カフェでも、その場で考えて発信・動かなくてはならない場面を多々用意するのですが、最初はメンバー同士で窺い合い、誰も発信しようとしません。アイスブレイクやメンバー間の交流場面を多くつくり、慣れてくればようやく、といった感じです。


僕は自身が運営する企画では、

自分で考えて発信する・正解じゃなくていい・発信した人が褒められる

という環境を創ることを大切にしています。

効果はてきめんで、初めて会った時とは別人のように成長する人も出ます。
いかに普段他人の目線や評価を気にして自分を抑えているかってことですよね。
本当に勿体ないなぁって毎年思う。

 

検索って便利ですよね。
今やなくてはならない機能であることは間違いないです。
だけど、あまりにも検索に依存しすぎると、自分の考えを持つ場面が無くなり

●自分の価値観が定まらない

●何でも知った気になるが、自身の知識として定着していない

●電気と電波が無いと生きていけない など

いろんな弊害が出てくるんじゃないかとも思います。

 

だから、就カフェのメンバーには毎年このように伝えていて。

- わからないことは検索する前に
一旦自分なりの答え(仮説)を持つようにしよう -

自分なりの答えは別に正解じゃなくても構わない。
考えを持った上で正解を見る。
この小さな習慣付けが考える力を失わない為に大切だと考えています。


便利なことって時に大きな何かを失わせるんじゃないか。
今回は「検索が失わせる自身の意志」というテーマで書いてみました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

shogo

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