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『何を』ではなく『誰が』 〜舛添騒動を振り返って〜

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引用:http://lite-ra.com/2016/05/post-2228.html

 

こんにちは。ショーゴ(@sho_trip)です。

ここ1ヶ月の大きなトピックと言えば東京都知事舛添氏の政治資金の公私混同問題でしたね。

ひと段落したこの問題を通じて僕なりに感じたことをここに残したいと思います。

目次

  1. 舛添騒動の顛末
  2. 過去の都知事はどうだったん?
  3. コミュニケーションにおける現実 

舛添騒動の顛末

まずはサラッと今回の騒動のおさらいを。

東京都の舛添要一都知事が公用車で湯河原の別荘に通っていたことを週刊誌で報道されたことをきっかけに様々な政治資金の私的流用を指摘されましたね。

ダイジェストはこんな感じ。

●公私混同→公用車で湯河原通いなど

●私的流用→公費で家族旅行など

●絵画で財テクヤフオクで絵画を購入

●外遊好き→視察は美術館ばかり

などなど…

また、これらの釈明機会に都民への謝罪の言葉は特になく、さらに追及を受ける展開に。これまで後援してきた与党からも見放され、全会派一致で不信任決議を提出される流れになりました。

結果、6月15日(水)舛添都知事自ら議長に辞職願を提出。

同21日付での辞職が決まりました。

過去都知事はどうだったん?

では、舛添都知事だけが著しく金銭感覚がおかしかったのでしょうか。

ひとつ前の都知事、猪瀬直樹氏も辞任の引き金となったのは金銭問題(徳洲会から5000万円を授受?)だったのは記憶に新しいですね。

ではその前はというと、1999年~2012年までの約13年間を担当した石原慎太郎氏。

これだけ長く都知事を務めた石原氏にも「公私混同」疑惑がありました。

04年、「サンデー毎日」が報じた「知事交際費の闇」記事では数々の公費の私的流用や驚きの勤務実態が指摘されています。

●高級料亭での接待

●高額な海外視察

●都庁出勤は週平均3日

など

 参考:

lite-ra.com

というように、石原氏は舛添都知事と比べても同等ないし、それ以上の疑惑があったわけですが、その後なぜか積極的な追及はなく、疑惑は立ち消えになったのでした。

石原氏は知事以前に芥川賞作家であり、テレビで論客としても活躍していたなどマスコミとの接点や関係性が深かったことが影響しているのではないかと言われています。

コミュニケーションにおける現実

これら今回の一連の騒動を見て僕が一番に思い出した事、

それはコミュニケーションにおける原則論『「何を」ではなく「誰が」』でした。

結局のところ、どんなに正しいことを言ったとしても、人はその話の中身よりも『誰が』言ったのかによってその情報を信用するかどうか決め、言動や判断が左右されるということ。それが良い悪いではなく、現実であるということ。

 

例えば、サークルや部活に所属していたとして、2人の先輩から『同じ提案』をされたとします。

★提案の内容:「今夜一緒にメシ行こうぜ!」

 ◎A先輩 ⇒ 心から尊敬している

 △B先輩 ⇒ 正直、生理的に無理

想像してみてください。あなただったらその返事をどうしますか?

 

恐らく、多くの方がA先輩からだったら嬉しいけど、B先輩には予定がある等の言い訳をして断ったりするのではないかと思います。

会社で話題になる「セクハラ」や「パワハラ」も原理は同じですね。

「おつかれ!」と肩にポンッと手を置く行為も、ある上司からなら「励まし」になるが、別のある上司からだと「セクハラ」になる。

 

要は、それが自分がいかに正しいと思っていたとしても

『何を』ではなく『誰が』によって相手は受け取り方を変えている。

相手がどう受け取ったかがすべてであり、

それがコミュニケーションにおける現実であるということ。

 

実は僕も新卒で入社した初めての会社で、その原則を理解できておらず失敗した経験があります。

入社して2年で本社に登用された僕に、社長からあるプロジェクトを提案するよう指示がありました。

その提案は上司である課長も同時に提案を求められており、当時調子に乗っていた僕は「課長より自分の方がチカラがある」ことを見せつけるチャンスだと気合を入れて提案に臨みました。

プレゼン当日、費用対効果を示す裏付けデータも揃え、何を聞かれても答えられる準備を整えた僕は自信満々で社長へ提案。

それに対し、課長は1枚の資料もなく、口頭でざっくりと話しただけ。

 

「絶対に勝った」そう思った僕に、

社長が告げた結論は「課長の案で行く」と。

 

「ありえない!」その場で抗議した僕に社長は、

「お前みたいな若造が考えた案はまだまだだ」と告げました。

 

間違いなく、プランとしても自分の案の方が具体的かつパフォーマンスも高いものであったのにも関わらず選ばれなかった。

僕はその事実を受け入れることが出来ず、辞めることすら考えました。

 

そんな僕を見て、今でも僕の恩師である専務が専務室に僕を呼び一言。

「お前は成果を追うあまり、人として大切なことを見失っている。」

それは『謙虚さ』と『素直さ』

「どんなに仕事ができても 信頼されない奴は絶対に成功しない。」

 

今回の舛添都知事の件、なぜこれほどまでにいわゆる「炎上」状態になったのか。

それは「初動対応のまずさ」にあると各マスコミ・評論家の方々が指摘していますね。

 

最初に疑惑が取り沙汰された時から辞職に至るまでの間、一貫してわたしたちが舛添都知事に感じた印象。

 

それは「謝らない」「言い訳ばかり」など、

『謙虚じゃない』ということではないでしょうか。

 

そんなやり取りから多くの人が彼に対して信頼感を失い、やがて「気にくわない」という感情になっていった。

 

そこからのマスコミ・ネットでの連日の糾弾はすさまじいものでした。

その過剰さには僕も行き過ぎ感を感じていますし、では石原都知事が信頼されていたかというとそれはまた別な『大人の事情』が大きく影響したのだと思います。

 

しかし、同じようなことをした人の間で、これほどまでに対応が変わるのはまさに

『何を』ではなく『誰が』の典型例だなと感じました。

 

僕がよく新入社員向けのベース研修などでも話していること。

『多くの人を巻き込める人こそが、ビジネスで大きな成果を挙げることができる』

ではどういう人が人を巻き込めるのか。そのキーワードは『信頼』

 

信頼形成の仕組みについては、またあらためて書きたいと思います。

それでは今回はこの辺で。

Thank you for your time!

 

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